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テキストアイコン自由意志による擁護論(第21回哲高レジュメ)

プランティンガ『神と自由と悪と』(星川啓慈訳、勁草書房、1995)より、「自由意志による擁護論」を論じた箇所(p.41-99)をまとめました(以下、プランティンガの立場から述べます)。

1.前置き

自由意志による擁護論の核心は「道徳上の悪を含む宇宙を創造することなしに、道徳上の善を含む宇宙を創造することが神にはできなかった」といふ主張が可能であるといふことです。

なほこの主張に当たり、次のことが前提されてゐます 。

2.マッキーとライプニッツの論点

J・L・マッキーは次のやうに主張する。神は自由であり、かつ、常に正しいことをする完全に有徳な人間を含む世界を創造することが出来たはずである。ところが、現実世界はそのやうな世界ではない。神がこのやうな世界しか実現できなかったといふことは神の全能といふ前提に反するものである。従って〈全能・全善なる神は存在しない〉。

一方で哲学者G・W・ライプニッツ(1646-1716)は次のやうに述べてゐる。現実世界は全ての可能な諸世界のうちで最善であるに違ひない。といふのも、全能なる神にはどの可能世界であっても実現する力があり、また、神は全善なので、自分が実現可能な世界のうちでも最善の世界を選んで創造したはずであるからである。

自由意志による擁護論者はマッキーにもライプニッツにも同意しない。擁護論者は〈神は、全能ではあるが、自分が気に入った可能世界のどれをも現実化できたわけではない〉と主張する。

3.神はどんな可能世界でも創造できたのか

ささいな例から始めよう。君とポールがオーストラリアでの狩猟の旅から帰ってきたところである。君の獲物は対の肉垂をもち巧みに逃げるヒクイドリであった。ポールはツチブタを捕まえたが、それをヒクイドリと思っていた。その動物の無邪気なしぐさは、ポールの心を捉え、彼はひじょうに惹付けられる。アメリカに帰ると、君はポールにツチブタを五百ドルで譲ってくれるように頼むが、無下に断られる。のちに、君は〈自分が七百ドルで頼んだとしたら、ポールはどうしただろうか〉と自問する。さて、君が問うているのは精確には何なのだ。君が実際に問うているのは、特殊な条件の集合のもとでポールがツチブタを売ったか否かである。これらの条件は、君がツチブタのために、五百ドルではなく七百ドル申し出たことを含んでいる(他のことはすべて、実際に成立した諸条件と可能な限り同様であるとする) (p.58)。

この特殊な条件の集合(事態S')にはポールが君の申し出を受容れることも拒否することも自由であることが含まれてゐる。しかし、この集合自体にはポールが申し出を受容れたであらうとか、断ったであらうといふことは含まれてゐない。従って事態S'に対してポールが申し出を受容れたか否か二つに一つではあり、神はそれがどちらかを知ってはゐるが、ポールが自由であるといふ条件に立つ限り、事態S'のもとでポールが現実には選ばなかった可能世界が存在する。これは神が現実化できなかったであらう可能世界である。

従って全能の神が実現できなかった可能世界は存在する。

4.神は道徳上の善は含むが道徳上の悪は含まない世界を創造できたのか

次に、道徳上の善は含むが道徳上の悪は含まない世界はすべて「神が現実化できなかったであらう世界」に含まれる、といふ可能性を考へなければならない。

ボストン市長のカーリー・スミスは、提示された高速道路のルートに反対である。というのは、そのルートのためには、古くて構造的に不安定ないくつかの建物とともに、オールド・ノース・チャーチを壊さなければならないからだ。高速道路の管理者であるL・B・スミーズは「百万ドルで君の考えを変えないか」とたずねた。スミスは「もちろんいいとも」と答えた。そこでスミーズは「二ドルではどうか」とたずねた。すると「私を何だと思っているんだ」という憤慨した返答がかえってきた。スミーズはにやにや笑いながら「君が考えを変えることはすでに決まった。残るは金額をひき下げることだけだ」と言った。スミーズはスミスに三万五千ドルの賄賂を申し出た。マサチューセッツ州の素晴らしい古くからの伝統を心ならずも裏切って、カーリーは賄賂をうけとった。スミーズは、二万ドルでカーリーを買収できなかったかどうかを考えながら、眠れない夜を過ごしている(p.67)。

カーリーが自由でありながら、決して間違ったことをしない諸可能世界のうち任意のものW'を考へてみよう。W'においてはカーリーが道徳的自由を行使できるやうな諸々の行為がある。だが、これらの行為のうち少なくとも一つをAと呼んでおかう。

また、W'において成立し、次の条件を満たす極大な部分世界S'が存在する。

ここから神はW'を実現できなかったことが帰結する。といふのはW'を実現するためにはS'を現実化しなければならないが、S'が現実化した場合、Aについてカーリーは過ちを犯すからである。従って神はW'を創造できない。

「神が現実化できる世界はすべて、〈もしカーリーがその世界において有意味的に自由であるとすれば、彼は少なくとも一つの間違った行為をする〉といった世界である。明らかにカーリーは深刻な困難に直面している。私は、彼が苦しんでいるこの病弊を貫世界的堕落(transworld depravity)と呼ぶことにする。[……]貫世界的堕落を明示的に定義しよう」(p.70-71)。

一般的にすべての人(もしくは道徳的に有意味な行為を自由に行なへる存在者)が貫世界的堕落に苦しむことがあり得る。もしさうであるなら、神は道徳的自由を彼らに与へ、道徳上の善を世界に生じさせる代償として、彼らが道徳上の悪をももたらしてしまふ世界を創造してゐることになる。しかし、さうだとしても不整合は生じない。

5.自由意志による擁護論の正当化

以上より、次の三つの命題が相互に整合的であり、これらの連言は可能な一つの命題となる。

これらの命題を結合したものは次の命題を含意してゐる。

以上四つの命題を含む集合Aは無矛盾である。よって自由意志による擁護論は成功してゐるやうに思はれる。

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